Amazonが提供する音声サービスAlexa(アレクサ)は、人の言葉を理解し、音声を通じて人とコミュニケーションを行います。Alexaには繰り返すことで自ら学んでいく機械学習や、人の声を理解するための自然言語理解といった先端技術が使用されています。現在欧米では、Alexaは障がいのある方々の生活をサポートするサービスとしても注目され始めており、日本でもその可能性や課題について研究が始まっています。障がいのある子どもたちを助けるための先端技術の活用について研究する東京大学先端科学技術研究センター教授の中邑賢龍(なかむら・けんりゅう)さんに、Alexaをはじめとする音声サービスの持つ可能性や目指すべきこれからの社会について、お話をうかがいました。
「あるテク」を活用して、誰もが好きなことをして生きられる社会に
ひとり一人の個性を受け入れ、多様性を認め合う社会の実現を目指し、テクノロジーによって人々を支援する「人間支援工学」の研究をしている中邑賢龍教授。中邑さんはなかでも、「あるテク(身近にある先端テクノロジー)」を活用して、重度知的障がいや重度重複障がいの方たちの支援や、不登校やひきこもり状態になっている若者の支援など、様々な研究を行っています。そして現在、その成果を教育システムの中に組み込もうと活動しています。
中邑さんがこうした研究に取り組む背景にあるのは、「誰もが好きなことをして生きられる、多様性のある社会をつくりたい」という想いです。中邑さんの研究室には、すばらしい能力を持っているのに、周囲と違うという理由で、社会になじめず、学校に行けない、働けないという子どもや若者たちが多く訪れるといいます。中邑さんは、「もっと誰もが社会で活躍できる、自由な場所をつくってほしい。そうすれば、自分たちのように心に傷を抱える大人が増えることはないだろう」という彼らの声を聞く中で、子どもたちの個性に合わせた多様なスタイルの学びの場の必要性を感じたそうです。
「勉強ができる子をさらに勉強ができる子にして、オールマイティで協調性のある人材を求めていくという社会では、技術をちょっと高める持続的なイノベーションは起こせるかもしれませんが、それまでの世界を一変させるようなイノベーションを起こせるような人材は育たない。やはり、大きなイノベーションは、『みんな仲良く元気よく』から飛び出した子どもたちがつくるのだと思います」
そんな想いを持ちながら、中邑さんは現在、不登校で社会と接する機会が少ない子どもや読み書きのできない子ども、障がいのある方々にIT機器などの先端テクノロジーを使ってもらう生活支援に取り組んでいます。数ある取り組みの一つには、ソフトバンク株式会社と共同で行っている「魔法のプロジェクト」があります。これは、スマートフォンやタブレット、音声サービスが搭載されたスマートスピーカーなどの先端テクノロジーを教育現場や家庭で活用し、学びに悩みを抱える子どもの学習や社会参加の機会を増やそうという取り組みで、これまで約10年継続し、のべ600人の子どもや障がいを抱える人々を支援しています。
「今の教育の中では、漢字は書けて当然、計算もできて当然というように、すべてにおいて自分の持っている能力で何でもできなければいけないという風潮があります。ですが、人には得意不得意がありますよね。どうしても克服できない分野のある子は、無理に努力して苦しまなくていいじゃないかと私たちは考えているのですが、『そんなの教育じゃない。努力してできるようになることにこそ意味がある』という考え方も根強くあります。まったく努力せずにできるようになる子と、時間をかけてもできない子が同じ教室で学んでいたら、どんどん学力に差が開き、取り残された子どもはどんなにキラリと光る才能を持っていたとしても、学ぶ意欲を失っていきます。そこで、もっとテクノロジーで能力を補って、様々な個性や障がいを持つ子でも自由に生き生きと学べる教育システムを創れたらよいのではないか、そんな考え方を学校の先生と共有しながら、新しい時代の教育をつくっていこうと始めたのが、この『魔法のプロジェクト』です」
Alexaが、毎日の生活を助ける道具として活躍する近い未来
こうした取り組みを行う中で、機械学習や自然言語処理などの先端テクノロジーが使われているAlexaの音声サービスが、障がいを抱える子どもたちにもたらす好影響が見えてきたと中邑さんは話します。
時間の概念がうまくつかめない小学生が、Alexaを使い、自分ができない苦手な部分をAlexaに補ってもらうことによって、自分でスケジュールを管理し、物事を順序立てて行動することができるようになったという事例。空間を思うように認知することができず、うまく桁をそろえて筆算できない子どもが、Alexaに自分の代わりに計算をしてもらい、算数を学ぶ意欲を取り戻した事例。他にも、病気のために寝たきりで一日中ベッドで過ごさなければならない子どもとその家族が、家庭にAlexaを導入したところ、音声で指示することでニュースを見聞きしたり、家電を操作したりと、本人だけではなく、サポートするまわりの家族もより快適に暮らせるようになった事例など、さまざまな効果が出てきたといいます。
「今まで、苦手なことを周りから克服するように言われ続け、生きづらさを感じていた子どもにとって、ご家族が見守るなかで自分が主体となってAlexaを操作できるということが、『自分で自分を生きる』という主体的な意識を身につけることにつながっているようです。これは本当に大きな成果だと思います。その子のお母さんも、『自分というものが、子どもの中に宿りました』とおっしゃっていましたね」
子どもたちが、誰かからやらされるのではなく、自らが動き、自分のスタイルを保ち、テクノロジーの力で自信を取り戻すことに、Alexaの有用性を見出したと中邑さんは続けます。
「Alexaなどの身近な『あるテク』が、日常を助ける道具として人々の生活に入り込み、能力を補っていく。そこが面白いところですよね。これがあれば、もっと何かできるはず。とにかく、みんなに使ってもらってさらなる可能性を探り、活用方法を考えて、それをシェアしていけたらいいなと思っています」
「変わるともっと楽しい」、人の意識とテクノロジーが未来を変えていく
音声サービスを始めとする先端テクノロジーを人と社会をつなぐ接点とし、様々な取り組みを行っている中邑さん。バリアフリーな新しい社会を実現させるために、何よりもまず変えなければいけないのは、「人の意識」だといいます。
「『変わらなくていいんだ』ではなく、『変わるともっと楽しいんだ』という意識の浸透が必要だと思います。いま世の中は新型コロナウイルスなどの影響もあり、大きな変化に直面していますが、変わるということを、みんなすぐに悪い意味にとらえてしまうんですよね。そうではなく、変わることはもっと楽しいのだと。もちろん、楽しいだけではだめですが、変化を恐れないことも大切だと思います。生きていることだけで大変な思いをしている人たちをもっと楽しく、楽にしてあげたっていいじゃないかと私は思います」
その上で中邑さんは、今後テクノロジーの発達によって「もっと新しい感覚が生まれてくるような気がする」と期待を膨らませます。
「先日、ある学校で先生が、保健室にしか登校することができない生徒に『保健室にこれを置いて授業を受けなさい』と、スクリーン付きのEcho Showのビデオ通話機能で保健室と教室をつないで授業を受けられる状態をつくった、という話を聞きました。授業の様子を遠隔でも見られるようにして、勉強がしたい時は見ればいいし、授業を受けたくない時は自分の好きなことをすればいいと。こんな学びが許される時代が来たんだと感動しました。子どもに合った学びを見つけてあげることで、諦めるという選択肢をなくし、学習に対する意欲をわかせ、本人が自信を生み出すきっかけを与えることができます。これからの未来、Alexaなどの先端テクノロジーがもっと身近になって、身につけられるウェアラブルになり、誰もが使えるようになっていけばいいなと思いますね」
音声サービスなどのテクノロジーが、ひとり一人の個性を生かし、生き方に自由な選択肢を与えてくれる、バリアフリーな社会の実現に大きく寄与する、そんな未来が近いのかもしれません。