神経難病や重度障害者に接する機会がない方にも、社会の支援があれば我々も社会参加できることを知ってもらいたいのです
創発計画株式会社 代表 高野 元さん

6年前の1月、家の近所でいつものようにテニスを楽しんでいた高野元さんは、右足が体の動きについていかず、左足で右足を踏み、転倒してしまった。それが、高野さんが自分の体の異変を認識した最初だった。最初は疲れや老化のせいだと思ったが、徐々に症状は悪化し、9月には走ることが難しくなり、大好きだったテニスをあきらめざるを得なくなった。10月になって病院へ行き、そこで初めてALS(筋萎縮性側索硬化症)の可能性を告げられた。

ALSは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される病気で、現在も原因も治療方法も解明されていない指定難病のひとつ。筋肉が衰え、次第に体の機能が奪われていく。

高野さんは大学卒業後、日本の大手メーカーの研究所にITエンジニアとして所属し、海外留学制度を利用してスタンフォード大学に客員研究員として在籍。帰国後はインターネットの検索サービスの立ち上げに従事した。その後ベンチャー企業へ転職し、経営のノウハウを実地で身に着けた。

ALSと診断されたのは、そのベンチャー企業を退職し、事業開発のコンサルタントとして独立した3年後だった。奇しくも、ALSの研究を支援する募金活動ALSアイス・バケツ・チャレンジが注目を集めていた頃だった。

AIで取り戻したプレゼンする喜び
ベンチャー企業勤務時代の高野さん

「ALSの告知を受けたときは、病気や生活の変化に対する知識がまったくなかったので、数年で死ぬんだという絶望感しかありませんでした」と高野さんは当時を振り返る。

「その後、片っ端から情報を集める中で、公的支援を活用して積極的に生きる先輩患者と出会い、真似したいと思うようになりました」

先輩患者に学び、療養の工夫を続ける中で、「患者や・家族・支援者の仲間が増えて、自分の療養のスタイルができていった」という。

現在はすでに全身が動かなくなり、会話もできない状態にある高野さんだが、ALSからの回復を信じ、自分の足で立つリハビリや肺の柔軟性を保つリハビリを週に2回行い、積極的に外出もしている。今年の夏は東京国立博物館で『三国志展』を楽しんだ。

「ALSの進行によって、身体の自由が奪われていくなか、私が最も怖かったことは、身体が動かなくなることよりも、『社会とのつながりが切れてしまうこと』でした」という高野さん。

AIで取り戻したプレゼンする喜びAmazon Pollyを使い社会参加を続けるALS患者高野元さん
足で立つリハビリの様子

24時間の介護が必要となる、ALSを始めとした神経難病の療養生活には、医師だけでなくさまざまな専門職や地域の協力が不可欠となる。高野さんは、医療関係者などへの理解を深め、協力を得るためには、ビジネスコンサルタント時代に学んだ、ファシリテーションの技術を生かせるのではないかと考え、講演活動に取り組み始める。そして社会とのつながりを生むプレゼンテーションが高野さんの生きがいのひとつになっていった。

「ファシリテーションは、対話の中から自然な形で解決策を引き出すものです。そのためにはプレゼンテーションができる技術が必要でした」

最初のうちは、動かせる左手でキーボード入力やパソコンの操作を行っていたが、2017年に左手の機能が急速に低下すると、それもかなわなくなった。それでもあきらめず、なんとかプレゼンテーションができる方法を探し、視線入力のシステムと視線操作のシステムを導入。一般的に慣れるまでに時間と根気を要するとされる視線入力だが、高野さんは、パソコン画面の位置の調整を何度も繰り返し、約3か月でマスターした。

次の課題は、プレゼンテーションに必要な声の代わりになるパソコンの音声合成機能と、プレゼンテーションのページをめくる操作を同時に行うシステムがないことだった。

HeartyPresenterの操作画面
HeartyAiの操作画面
AIで取り戻したプレゼンする喜びAmazon Pollyを使い社会参加を続けるALS患者高野元さん
プレゼンテーションを作成している様子。文字入力ソフト「Hearty Ai」は文字入力だけでなく画像の移動なども行える
AIで取り戻したプレゼンする喜びAmazon Pollyを使い社会参加を続けるALS患者高野元さん
モニター下部の黒い細長いバーが、視線入力に対応する装置「Tobii Eye Tracker」。視線入力ソフト「Hearty Ai」と連動させる
AIで取り戻したプレゼンする喜びAmazon Pollyを使い社会参加を続けるALS患者高野元さん
わずかに動かせる右手に取り付けたセンサーでも制御している

そこで、高野さんは、使用していた視線操作ソフト「HeartyLadder」「HeartyAi」開発者の吉村隆樹さんと分身ロボット「OriHime」開発者の吉藤健太郎さんらと共同で、重度障害者向けブレゼンテーションシステムHeartyPresenterを開発する。

最後の課題は、テキストを読み上げる声だった。

「音声合成機能はパソコンの基本ソフトのものを使っていましたが、いかにもコンピューターな声で、長時間のプレゼンテーションの音声としては聴衆に負担がかかるものでした。もっとなめらかで自然な音声合成技術がないかと探していたところ、Amazon Pollyを見つけました」

Amazon Pollyは、アマゾン ウェブ サービス(AWS)の高度な深層学習技術を使用したテキスト読み上げサービスで、抑揚の付いた人間に近い音声を合成することができる。高野さんに協力を要請されたAWSは、高野さんからの質問に回答する形で、HeartyPresenterへのAmazon Pollyの組み込みを支援した。

「Pollyは自然でなめらかな音声を提供してくれるだけでなく、とても安価に使えます。今年の3月に開催した、私の活動報告会や、Amazonの目黒オフィスで開催したイベント「KPMG Japan Talks supported by AWS」でも披露したところ、とても聞きやすいという声が多数ありました。活動報告会では、毎年パソコンの音声合成でしゃべっていたのですが、聞き取りにくいという声も少なからずあったのです。それがAmazon Pollyを使うことで解消されたようです」

AIで取り戻したプレゼンする喜びAmazon Pollyを使い社会参加を続けるALS患者高野元さん
「KPMG Japan Talks supported by AWS」でプレゼンテーションを行う高野さん

これからも講演活動や、様々な場所へ出かけることで、重度障害者であっても社会参加ができることを発信していきたいという高野さん。現在もなお、創発計画株式会社代表を務めている。利益を生み出す事業は行っていないが、社会に貢献する事業計画を立て、活動を続けているからだ。

「現在、重度訪問介護ヘルパーを派遣できる介護事業所がほとんどないことが、重度障害者の外出や社会参加を阻んでいます。まずは、自分に必要なヘルパーを確保するために介護事業所を作り、その経験で蓄積したノウハウを、同じ悩みを抱える神経難病を抱える患者や家族に、いずれ提供したいです。また、これからも講演活動に力を入れたいです。普段、神経難病や重度障害者に接する機会がない方にも、我々の生活を知ってもらい、社会の支援があれば我々も社会参加できることを知ってもらいたいのです」

AIで取り戻したプレゼンする喜びAmazon Pollyを使い社会参加を続けるALS患者高野元さん
妻・めぐみさんとの会話も視線入力で楽しめる

制約を設けずに、新たなことに挑む高野さん。仕事以外の楽しみを尋ねると次のように答えてくれた。

「仕事と遊びの境界がすでに曖昧なのですが、周囲の協力を得てたくさんの場所にでかけて、たくさんの人と出会っていきたいです。昨年に続いて今年も10月に『みんなで創る、神経難病患者といっしょに鎌倉に行こうプロジェクト』を開催しました。神経難病患者数組と、それぞれの仲間が協力して、鎌倉散策を楽しもうというものです。この企画を進めるに当たり、以前からの友人だけでなく、新しい友人もでき、参加者にも喜んでもらえました。来年も開催したいと思っています」

AIで取り戻したプレゼンする喜び
2018年の「みんなで創る、神経難病患者といっしょに鎌倉に行こうプロジェクト」の様子

Amazon Pollyについてくわしくはこちらをご覧ください

高野さんがプレゼンテーションを行った「KPMG Japan Talks supported by AWS」についてくわしくはこちらをご覧ください

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