日本では政府、民間そして地域をあげてデジタル化を加速させ、様々な社会課題を解決しようというデジタルトランスフォーメーション(DX)の動きが活発化しています。中小規模事業の皆さんにおけるデジタル化をテーマにしたストーリーの第3弾をお届けします。

高齢化が加速するなかで、中小企業経営者や職人の引退に伴い、事業承継が社会問題となっています。後継者不足による廃業や円滑な事業承継ができずに経営難に陥るケースなど、様々な課題が浮き彫りになり、中小企業庁も積極的に事業や技術承継の支援を行っています。そのなかで、1941年創業の猪飼弓具店は、インターネット販売やSNSによる情報発信などの新機軸を打ち出し、伝統産業における事業承継のロールモデルともいえる存在として注目を集めています。その三代目の猪飼英樹さんを前例のない挑戦へと突き動かしている、弓道普及にかけた想いに迫ります。

にっぽんの中小規模事業のデジタル化を応援【その3】伝道師として弓道の普及に励む、猪飼弓具店の挑戦

弓道人口を増やすことが自分に与えられた使命

「弓道では、弓を引く際に、弦から右手の親指を保護するために『かけ』という革製の手袋のような道具をつけます。これは弓と矢よりも大切なものとされていて、他のものでは替えがきかない弓具とされています。それが転じて、かけがえのないものという言葉の語源になったともいわれているんですよ」

そう言って笑顔でお客様と話すのは、大阪府大阪市にある猪飼弓具店の三代目の猪飼英樹さん。店内には200張(はり)を超える弓が陳列され、その品揃えは日本随一。遠方から訪れるファンが多いこの弓具店の一日は、猪飼さんとお客様との交流が大半を占めています。

にっぽんの中小規模事業のデジタル化を応援【その3】伝道師として弓道の普及に励む、猪飼弓具店の挑戦
お客様と談笑する猪飼弓具店 代表取締役 猪飼英樹さん

「以前、新潟の弓道部の学生3人が来店してくれたことがありました。うちに来ることを目的に、わざわざ鈍行列車を乗り継いで(笑)。『猪飼さんに会いたかったです!』と言ってくれて、本当にうれしかったですね」

猪飼弓具店の創業は1941年。猪飼さんの祖父・秀重さんが創業し、父の代を経て2015年に英樹さんが代表取締役に就任しました。

「幼少時から家業を継ぐことは意識していたのですが、いざ継ぐとなったときはプレッシャーを感じました。父は昔気質の人間ですから、背中を見て覚えろというタイプ。そんななかで、お客様の満足のいく仕事ができるだろうか、自分の中で納得のいく仕事ができるだろうかと自問自答する日々が続きました。家業を継いで良かったと思えるようになったのは、実は最近のことなんですよ」

創業時からお客様とのコミュニケーションを大切にしてきたことを受け継ぎ、猪飼さんはまず、「身近に感じてもらえる弓具店」というコンセプトを打ち出しました。

「一般の方からすると、弓道には敷居が高いイメージがあると思います。道具ひとつ取ってもどう揃えるかをご存知の方も少ないのではないでしょうか。その敷居を低くするために、親身でアットホームな店でありたいと思っています。
私は弓具店の三代目であると同時に、競技者として弓道に魅了された一人でもあります。所作や心の些細な動きによって一射一射に変化が表れて、思いどおりにはいかない。そこが楽しくもあり、悔しくもあり、試行錯誤をしながら研鑽を積めるのが弓道の奥深さです。弓道は老若男女の垣根なく続けられる生涯スポーツですし、ソーシャルディスタンスを維持しながらできるので、今の時代にも合っていると思います。弓道人口を増やしていくことは、この店の三代目としても、競技者の一人としても私の使命なんです」

にっぽんの中小規模事業のデジタル化を応援【その3】伝道師として弓道の普及に励む、猪飼弓具店の挑戦
猪飼さんは、自身も競技者として弓道に魅了された一人

受け継いだ伝統をデジタルで進化させる

事業を受け継いだ猪飼さんは、「手探りの中で新しい取り組みに挑戦すること」こそが弓道人口の増加につながると考え、インターネット販売に乗り出します。

「弓道の競技人口は約14万人と横ばい状態が続いています。この課題をひもといていくと、弓道を始めることの敷居の高さに加え、全国的に弓具店の数が少ないということが考えられます。先代のころは全国にある学校の弓道部や大会に出向いて出張販売を行なっていましたが、うちが人手不足になったこともあり、全国各地の競技者に広く商品を届ける手段としてオンライン販売を始めました」

2014年に自社のECサイトをオープン。商品一つひとつに付けられた丁寧な解説や、弓道普及への想いを込めて開発した初心者向けの弓道スターターセットなどの商品力、そして改良を重ねたUX(ユーザーエクスペリエンス)を組み合わせた自社のECサイトに加え、SNSを活用した発信力が評価され、カラーミーショップ大賞(*)で2018年に地域賞、2019年にはベスト店長賞を受賞。オンラインを活用した施策に大きな注目が寄せられています。

※カラーミーショップ大賞:全国4万店舗以上のネットショップの中から最も優れたショップを表彰するカラーミーショップ主催のコンテスト。

「日本国内はもちろん、ECサイトは国境を越えて海外のお客様にも届けられるメリットがあります。また、ECサイトが来店への誘因となり、先ほどお話しした新潟の学生のように、遠方から買いにきてくださるお客様も増えました」

さらに、AmazonのID決済サービスAmazon Pay(アマゾン・ペイ)を導入したことが転換点になったと猪飼さんは言います。

「それまではクレジットカード決済が多かったのですが、オンラインでカード番号を入力することに対して、セキリュティ上の不安があるという声をいただきました。入力のワンステップが購入の妨げになるのは残念ですよね。Amazon Payでは情報入力の手間がありませんし、お客様にとっても普段使っている決済方法だから心理的なハードルが低い。Amazon Payを導入したことで売り上げも増えました。
また、代引決済が減ったことで、商品を受け取れなかったお客様に確認の連絡をする業務がだいぶ少なくなりました。Amazon Payを導入したことでその手間が省けたことは大きかったですね」

にっぽんの中小規模事業のデジタル化を応援【その3】伝道師として弓道の普及に励む、猪飼弓具店の挑戦
Amazon Payを利用する猪飼さん

伝道師として弓道を盛り上げていきたい

Amazon Payの導入によって生まれた時間を有効活用し、猪飼さんが力を入れているのがSNSによる情報発信です。猪飼さんはTwitterを猪飼弓具店のアカウントと個人アカウントを使い分けながら365日欠かさずに投稿しています。お客様からの質問にも気さくに答える猪飼弓具店のTwitterのフォロワー数は約1万6千人、そして猪飼さんの個人アカウントのフォロワー数は約1万人です。これもまた、事業を受け継いだ猪飼さんが新たに始めた取り組みのひとつです。

「『身近に感じてもらえる弓具店』というコンセプトを進化させるためにはどうすればいいか、若い世代にも弓道の魅力を知ってもらうためには何をすべきかを考え、SNSを始めました。弓道への興味や親しみやすさを感じてもらえればと思い、何気ない日常や人間味が感じられる話題を個人のアカウントで発信しています。
商品のパッケージに自分の顔写真を載せたのも同じ理由からです。野菜の生産者と同じで、作り手の顔が見えたほうが親しみや安心感がありますよね。弓道をしている学生さんから『握手してください』『一緒に写真を撮ってください』って頼まれることもあるんですよ(笑)」

にっぽんの中小規模事業のデジタル化を応援【その3】伝道師として弓道の普及に励む、猪飼弓具店の挑戦
猪飼さんの写真を載せた商品

こうした取り組みを通じて、猪飼さんは弓道の伝導師としても知名度を高めていきます。中でも、「弓道の日」制定は弓道業界全体にインパクトを与え、猪飼さんの知名度を一気に押し上げました。

「9月10日を『弓道の日』として2015年に日本記念日協会に登録しました。すると、弓道をしている学生さんたちが『#弓道の日』と共にイラストや写真をSNSにアップしてくださり、トレンド入りすることができました。あの反響の大きさはうれしかったですね。それに合わせて、毎年9月10日近くになると『弓道の日記念交流射会』という大会を開催し、全国から多いときで200人くらいの方に参加していただいています。
『弓道の日』制定も大会も、猪飼弓具店としてではなく、あくまでも個人の活動として行っています。うちの会社だけが儲かればいいという考えは一切なくて、業界全体を盛り上げていきたいんです」

会社という枠組みを超え、新しい取り組みに挑戦する猪飼さんを突き動かすのは、やはり、弓道を普及させたいというぶれない想いです。

「一人でも多くの方に弓道に興味を持ってもらいたい、競技人口を増やしたいという想いは、社長に就任したときから少しも変わりません。ダイレクトメールで『弓道を始めたいんですけど、どうすればいいですか?』というお問い合わせがくることもあって、そこから弓道を始められた方がリピーターになることは一番の喜びです。
『弓道を普及させるまで絶対に辞めへんぞ。死なへんぞ』という想いでやっていますが、正直、ゴールはありません。だから、弓道を普及させることは使命であり、人生をかけて実現したい夢でもあるんです」

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